2001年11月 小国に何度か足を運ぶ。小国杉が有名で、杉を豊富に作った建物も多い。実はたまさん、素材フェチなんですわ(笑)杉の素材にうっとりと、高評価です(笑)。南小国には蕎麦屋さんが多く存在し、なかなか美味しく、またお店がおしゃれなところも多くて高評価。貸切露天風呂もあり、陶然としちゃっています。2001年11月18 日 今日はしし座流星群の日。なんか今年はすごいらしいとのことで、阿蘇方面もごった返し。カップルカップル・・・いや寒いのにご苦労様(自分もね)。いよいよショーの始まり!おお!すごい!!半端じゃない量と大きさに大満足。いやー、見にきてよかった。その大満足の勢いで、再度小国の貸切露天風呂を目指すが・・・遠い!!深夜の疲れた身体には、普段どおってことの無い道のりも大きくのしかかってくる。なんて遠いんだ小国は!!しかも霧も出てるし・・・。熊本市内に夜まで用事が多い自分たちとしては(オケの練習なんかね)、毎晩この道のりを通るのかと思うと・・・ちょっと萎えてしまった・・・。やっぱり「都会に遠い田舎」はキライかも。
探索開始!
2001年秋 文調も変わってしまった(^^;;シリアスな出来事も大事には至らず、ピンチヒッターからも開放されて日常を取り戻したたまさんですが、いよいよ田舎物件探索に乗り出しました。まずはインターネットで検索検索。あまり数は多く無いものの、熊本でも田舎物件を扱っている業者の方はいらっしゃいます。なかでも手作りの味のあるKさんのページは、その人柄がにじみ出ているようで好印象。物件も安い!特に小国地方は安いな~。小国は阿蘇地方の最北端で、すぐ隣は大分県九重。夏は涼しそう(たまさんは暑さに弱いのであった)。黒川温泉に代表される(正確には黒川温泉は南小国町だけど)温泉地がたくさんあって、観光地としても売出し中。ピンチヒッター時の仕事で周ってもいて馴染みもあるし、都会人の移住にも町として理解があるらしい。よ~し、小国を中心に探してみるかな。
熊本って・・・いいじゃん!
ピンチヒッターのお仕事、しんちゃんの担当は熊本県全域に渡っており、海沿いの天草列島の最南端から、阿蘇地方の最北端にまでお客さんがいた。とりあえずお客さんに迷惑をかけないため、しんちゃんが周っていたのと同じスケジュールで県内を周る日々が始まった。正直な話、私はあまり熊本が好きじゃなかった。事実、大学時代は岡山で6年間を過ごした。私の住みたい場所は、「都会に近い田舎」だった。大阪まで車で3時間ほどで行ける岡山は理想の地だった。しかし事情で熊本に戻ってきて、都会に遠い田舎である熊本を心から好きではなかった。ところがこの仕事で県内全域を周って、初めて熊本の魅力に気付かされた。豊かな自然、特に阿蘇山の雄大な眺めは心ときめくものがあった。「人生は一度きり。好きなことをして悔いなく生きなきゃ、いつぽっくり行ってしまうかわからないじゃないか。せっかく熊本に住んでいるんだから、世界一のカルデラ、阿蘇に抱かれて住むのは最高の贅沢じゃないか?」急にそう思えてきたのだった。結局、約1ヵ月半の間、しんちゃんのピンチヒッターをした。しんちゃんは、奇跡的に何の後遺症も無く、完全に元の状態で社会復帰できた。8月半ばに倒れたが、10月には仕事に復帰したのである。私は、しんちゃんの奇跡的な幸運に感謝しながらも、次は自分に何か降りかかるかもしれない、悔いなく好きなことをやらねばと考えるようになった。
人生は一度きり
2001年8月某日 話は前後するが、たまさんの人生に対する考えを一変させる出来事が、お盆の暑い日に起こった。我が実家は商売をしており(文房具・事務機販売)、本来は長男である私が後を継ぐはずのところ、すっかり親父の期待を裏切ったものだから(^^;;弟のしんちゃんが家業を継いでいる。そのしんちゃんが倒れた。くも膜下出血だった。鹿児島は指宿でのお盆休みを愛妻のみーちゃんと過ごしていたところ、夜半急に頭痛を感じ嘔吐、意識が遠のきろれつが回らなくなったという。みーちゃんが病院に運んだところ、その病院では原因が判らない。様子を見ていて少し安定したため、翌日熊本に戻って市民病院に運んだところ、くも膜下出血のため緊急手術という診断だった。私は出かけていたため、最初の出血から20時間ほど経過した翌日夕方頃、やっとみーちゃんからの連絡を受け取った。みーちゃん、不安でたまらなかったと思う。両親は北海道旅行中で、まったく連絡が取れなかったのだ。病院に向かうと、ちょうどその日は病院近くで花火大会があっており、大交通渋滞に巻き込まれてしまった。気は焦るが車は進まない。やっとの思いで到着したところ、主治医の先生に別室に呼ばれ、「今夜が山です」というドラマで聞きなれた台詞を言われた。手術前のしんちゃんは、意識はあるので少し安心したが、なにしろいつ動脈瘤が破裂するかわからないものだから、予断は許さない。そして手術が始まった。北海道旅行中の両親ともやっと連絡が取れ、みーちゃんのご両親も休暇を取り下げて駆けつけてくれることとなった。手術は数時間に及んだ。一応は成功。動脈瘤をクリップで留め、その部分からのこれ以上の出血を防ぐことができた。しかし、意識が戻るかは判らないし、身体に障害が残るかもしれない。覚悟はしておいてくださいと告げられた。数時間後、皆が見守る中、しんちゃんの意識が戻った。皆の目には涙。少し安心した。それから数日間、回復を見守っていったが、意識は次第にはっきりしてきたし、幸い麻痺も無いように見受けられた。ただ20日間は感染症や合併症の恐れがあるため楽観視できないと言われた。その間、みーちゃん、ともさんとお袋で交代で看病をすることになった。しんちゃんの仕事だが、しばらくの間ピンチヒッターで私がやることとなった。
名水に魅せられた人たち
2001年10月某日 コミュニティー新聞を見ていると、阿蘇郡西原村に自前のコンサート会場をオープンした人がいるらしい。お、それは一目見てみねばと、夫婦で音楽をやっているたま&ともは(二人とも地元の熊本交響楽団でホルンを吹いておるのです)えっちらおっちら出かけていったのです。その西原村のY氏。学校の先生をされていたが、退職後退職金を元手にこのコンサート会場・喫茶店・ギャラリーと複数の顔を持つ「風流(かざる)」を建てられた。娘さんはピアニスト、息子さんは出張蕎麦打ち職人という、Y氏の自由な子育ての成果か、素敵な生活をされている。このY氏も、名水巡りで美味しい水を追い求めた結果、西原村に居付いてしまったのだそうだ。「風流」の建つ土地も、信じられないほど安いお値段で譲っていただいたものだという。う~ん、なんて素敵な生活!!好きなだけ楽器が吹ける自前のコンサートホールと、気心の知れた仲間が集う喫茶店だなんて、長年思い描いてきた理想そのものじゃないか!ここに、たま&ともの田舎土地探索作戦が始まったのです。