人生は一度きり

2001年8月某日 話は前後するが、たまさんの人生に対する考えを一変させる出来事が、お盆の暑い日に起こった。我が実家は商売をしており(文房具・事務機販売)、本来は長男である私が後を継ぐはずのところ、すっかり親父の期待を裏切ったものだから(^^;;弟のしんちゃんが家業を継いでいる。そのしんちゃんが倒れた。くも膜下出血だった。鹿児島は指宿でのお盆休みを愛妻のみーちゃんと過ごしていたところ、夜半急に頭痛を感じ嘔吐、意識が遠のきろれつが回らなくなったという。みーちゃんが病院に運んだところ、その病院では原因が判らない。様子を見ていて少し安定したため、翌日熊本に戻って市民病院に運んだところ、くも膜下出血のため緊急手術という診断だった。私は出かけていたため、最初の出血から20時間ほど経過した翌日夕方頃、やっとみーちゃんからの連絡を受け取った。みーちゃん、不安でたまらなかったと思う。両親は北海道旅行中で、まったく連絡が取れなかったのだ。病院に向かうと、ちょうどその日は病院近くで花火大会があっており、大交通渋滞に巻き込まれてしまった。気は焦るが車は進まない。やっとの思いで到着したところ、主治医の先生に別室に呼ばれ、「今夜が山です」というドラマで聞きなれた台詞を言われた。手術前のしんちゃんは、意識はあるので少し安心したが、なにしろいつ動脈瘤が破裂するかわからないものだから、予断は許さない。そして手術が始まった。北海道旅行中の両親ともやっと連絡が取れ、みーちゃんのご両親も休暇を取り下げて駆けつけてくれることとなった。手術は数時間に及んだ。一応は成功。動脈瘤をクリップで留め、その部分からのこれ以上の出血を防ぐことができた。しかし、意識が戻るかは判らないし、身体に障害が残るかもしれない。覚悟はしておいてくださいと告げられた。数時間後、皆が見守る中、しんちゃんの意識が戻った。皆の目には涙。少し安心した。それから数日間、回復を見守っていったが、意識は次第にはっきりしてきたし、幸い麻痺も無いように見受けられた。ただ20日間は感染症や合併症の恐れがあるため楽観視できないと言われた。その間、みーちゃん、ともさんとお袋で交代で看病をすることになった。しんちゃんの仕事だが、しばらくの間ピンチヒッターで私がやることとなった。