熊本って・・・いいじゃん!

ピンチヒッターのお仕事、しんちゃんの担当は熊本県全域に渡っており、海沿いの天草列島の最南端から、阿蘇地方の最北端にまでお客さんがいた。とりあえずお客さんに迷惑をかけないため、しんちゃんが周っていたのと同じスケジュールで県内を周る日々が始まった。正直な話、私はあまり熊本が好きじゃなかった。事実、大学時代は岡山で6年間を過ごした。私の住みたい場所は、「都会に近い田舎」だった。大阪まで車で3時間ほどで行ける岡山は理想の地だった。しかし事情で熊本に戻ってきて、都会に遠い田舎である熊本を心から好きではなかった。ところがこの仕事で県内全域を周って、初めて熊本の魅力に気付かされた。豊かな自然、特に阿蘇山の雄大な眺めは心ときめくものがあった。「人生は一度きり。好きなことをして悔いなく生きなきゃ、いつぽっくり行ってしまうかわからないじゃないか。せっかく熊本に住んでいるんだから、世界一のカルデラ、阿蘇に抱かれて住むのは最高の贅沢じゃないか?」急にそう思えてきたのだった。結局、約1ヵ月半の間、しんちゃんのピンチヒッターをした。しんちゃんは、奇跡的に何の後遺症も無く、完全に元の状態で社会復帰できた。8月半ばに倒れたが、10月には仕事に復帰したのである。私は、しんちゃんの奇跡的な幸運に感謝しながらも、次は自分に何か降りかかるかもしれない、悔いなく好きなことをやらねばと考えるようになった。

人生は一度きり

2001年8月某日 話は前後するが、たまさんの人生に対する考えを一変させる出来事が、お盆の暑い日に起こった。我が実家は商売をしており(文房具・事務機販売)、本来は長男である私が後を継ぐはずのところ、すっかり親父の期待を裏切ったものだから(^^;;弟のしんちゃんが家業を継いでいる。そのしんちゃんが倒れた。くも膜下出血だった。鹿児島は指宿でのお盆休みを愛妻のみーちゃんと過ごしていたところ、夜半急に頭痛を感じ嘔吐、意識が遠のきろれつが回らなくなったという。みーちゃんが病院に運んだところ、その病院では原因が判らない。様子を見ていて少し安定したため、翌日熊本に戻って市民病院に運んだところ、くも膜下出血のため緊急手術という診断だった。私は出かけていたため、最初の出血から20時間ほど経過した翌日夕方頃、やっとみーちゃんからの連絡を受け取った。みーちゃん、不安でたまらなかったと思う。両親は北海道旅行中で、まったく連絡が取れなかったのだ。病院に向かうと、ちょうどその日は病院近くで花火大会があっており、大交通渋滞に巻き込まれてしまった。気は焦るが車は進まない。やっとの思いで到着したところ、主治医の先生に別室に呼ばれ、「今夜が山です」というドラマで聞きなれた台詞を言われた。手術前のしんちゃんは、意識はあるので少し安心したが、なにしろいつ動脈瘤が破裂するかわからないものだから、予断は許さない。そして手術が始まった。北海道旅行中の両親ともやっと連絡が取れ、みーちゃんのご両親も休暇を取り下げて駆けつけてくれることとなった。手術は数時間に及んだ。一応は成功。動脈瘤をクリップで留め、その部分からのこれ以上の出血を防ぐことができた。しかし、意識が戻るかは判らないし、身体に障害が残るかもしれない。覚悟はしておいてくださいと告げられた。数時間後、皆が見守る中、しんちゃんの意識が戻った。皆の目には涙。少し安心した。それから数日間、回復を見守っていったが、意識は次第にはっきりしてきたし、幸い麻痺も無いように見受けられた。ただ20日間は感染症や合併症の恐れがあるため楽観視できないと言われた。その間、みーちゃん、ともさんとお袋で交代で看病をすることになった。しんちゃんの仕事だが、しばらくの間ピンチヒッターで私がやることとなった。

名水に魅せられた人たち

2001年10月某日 コミュニティー新聞を見ていると、阿蘇郡西原村に自前のコンサート会場をオープンした人がいるらしい。お、それは一目見てみねばと、夫婦で音楽をやっているたま&ともは(二人とも地元の熊本交響楽団でホルンを吹いておるのです)えっちらおっちら出かけていったのです。その西原村のY氏。学校の先生をされていたが、退職後退職金を元手にこのコンサート会場・喫茶店・ギャラリーと複数の顔を持つ「風流(かざる)」を建てられた。娘さんはピアニスト、息子さんは出張蕎麦打ち職人という、Y氏の自由な子育ての成果か、素敵な生活をされている。このY氏も、名水巡りで美味しい水を追い求めた結果、西原村に居付いてしまったのだそうだ。「風流」の建つ土地も、信じられないほど安いお値段で譲っていただいたものだという。う~ん、なんて素敵な生活!!好きなだけ楽器が吹ける自前のコンサートホールと、気心の知れた仲間が集う喫茶店だなんて、長年思い描いてきた理想そのものじゃないか!ここに、たま&ともの田舎土地探索作戦が始まったのです。

なぜにこんな山の中?

そもそも、なぜ田舎暮らしを始めようと思ったのか?そのあたりからボチボチ説明してまいりましょう・・・。2001 年6月某日 たまさんは妻のともさんと一緒に、ともさんのお母さん(以下「おかん」)のお宅へとお邪魔しました。ともさんの出身は静岡県の藤枝市。おかんは藤枝に住んでますが、最近引越しをしたばかり。それではと新居にお邪魔したわけです。その新居というのが、夏になれば蛍が飛び、沢蟹や魚が住んでいるという清流沿いにあったのです!しかも藤枝の中心部から、車で15分ほど!なんて理想的な環境なんだ!と、たまさんとともさんは感動しました。近くには農園が借りてあり、自家製野菜が採れます。またミニ牧場まであり、豚や鶏、果てはボニーまでいるんです!こんな自然に囲まれた暮らしがしたい・・・漠然と二人は考えました・・・。2001年8月某日 この年のインターハイは熊本で行われ、サッカー競技にはともさんの母校、藤枝東高校が出場。これは応援に行かねばと会場に駆けつける毎日(おかげさまで準優勝でした)。たまたまバスケ漫画「スラムダンク」にはまっていた時でもあり、ついでにバスケット競技も見に行ったんですね。この会場の近くに湧水公園があり、暑さをしのぐつもりで行ったところ、そのこんこんと湧き出でる水の美味しさにノックアウト!いや、なんて美味しいんだろう、水だけで幸せな気持ちになれるだなんて・・・。この日から、二人の湧水めぐりの週末がスタートしました。熊本は名水が多く、全国名水百選に選ばれるような美味しい水源が多いんですよ。

山猫軒日誌スタート!

こんにちは、たまさんです。これから、山猫軒完成までの日誌を書きたいと思ってます。連載期間は2年になるか?3年になるか?(^^;; 山猫軒って何?宮沢賢治の「注文の多い料理店」に出てくるあれですが(^^)。私たちの「山猫軒」とは、私たち夫婦が阿蘇郡久木野村に山林を購入し、土地の整地から建物の建築まで極力自分たちの手で行い、喫茶店を経営する夢を描いた、そのお店の名前を「山猫軒」と名付けたのです。猫好きで猫を飼っている事、山林を切り開いた山奥にぽつんと出来る予定なことなどから、この名前にしました。ではでは、期待せずに気長にご覧下さい・・・(^^;;